過酷な環境だったといわれる「博物館網走監獄」を見学

博物館網走監獄の紹介

博物館網走監獄は、明治時代に建設された当時の網走監獄を後世に残すため、現在の網走刑務所がある位置から博物館として見学できる場所へ移設し、多くの人が監獄の歴史を学べるよう公開された。
江戸時代末期、王政復古の大号令とともに天皇制が復活した日本は、近代化政策を推し進める中で蝦夷地開拓を進めることに力を入れるようになる。
その理由として、欧米列強による侵略を食い止め、当時の蝦夷地(現在の北海道から樺太にかけて)を日本の領土として守り抜くことが大きな理由であった。

蝦夷地開拓政策を進める中、必要になるのが労働力であるが、膨大な労働力を確保するために考えられたのが本土の囚人を蝦夷地に送り使役させることであった。
囚人を収容させるのに必要になったのが監獄であり、網走監獄はその一つになったのである。
囚人たちは蝦夷地開拓に駆り出され、刑期を終えるとそのまま蝦夷地に定住する道を選ぶものも少なからずいた。
彼ら以外にも北海道開拓のため日本各地から蝦夷地へ移住するものが次々と現れ、現在の北海道が形成されていったのである。

網走監獄は、北の大地という厳しい気候環境にありながら、囚人たちが刑期を全うするためのさまざまな工夫が凝らされた監獄であった。
当時としては、いわゆる脱走犯の極めて少ない監獄としてもその名を全国に轟かせるようになったのだ。
明治に建設された建物の多くは戦禍で消失したり、新たな建物に建て替えられたりしたため、現存する建物が少なくなっている。
網走監獄は、当時の建設技術の高さと、西洋建築を模倣した当時の日本の暮らしぶりを知るのに役立つ歴史遺産と言えるだろう。

網走監獄の感想

網走監獄を見学した際、印象に残ったのが天井からの採光である。
廊下の中心にはガラス張りの天井が広がり、日光を刑務所内に照らすための工夫が施されている。
また、囚人が収容されている独房は格子状の柱が設置されており、換気が十分できるように配慮されていた。

これは囚人の人権を考えた故の設計であり、江戸時代から明治時代への転換の中で、欧米の人権意識を取り入れた結果である。
こうした日本の発展が垣間見られるのも、網走監獄見学の醍醐味と言えるだろう。

網走監獄見学では、囚人たちが当時の北海道開拓に携わった歴史が学べるようになっている。
富国強兵の名の下に、欧米列強と肩を並べるために国を挙げて軍事力を高めていく中、日本は周辺国との紛争に巻き込まれていく。
こうした混乱の最中、いわゆる国賊と呼ばれる人々が監獄送りとなり、網走監獄に送られた人も少なくなかったようだ。
彼らが北の大地を開拓するため監獄から送り出され、今の北海道の基礎を作り上げたことを知り、胸が熱くなった。